TOKIOのエッセイに関するお礼

20210508 夜

 

ご報告とお礼です。

アメブロハッシュタグ・ランキングで、昨日、一昨日書いた「TOKIO」のアルバム・バージョンに関するエッセイが、「歌謡曲」1位になりました。多くの方に読んでいただいたことに感謝します。以前も、「沢田研二の歌声」で、確か「歌謡曲」と「ロック」で一位になったことがありますので、ジュリーの強さに驚いています。

 

とはいえ、私としては、文学やマイナーな対象をとりあげると、1日で10回以下のアクセスしか得られない時もあります。が、みんなが知らない・忘れているようなものに光を当てたいと思って始めたブログですので、それでもいいと考えています。

ジュリーのパワーで、時々多くの人に読んでいただけて、励みになっていますが、それと同時に、マイナーなものにも注目していただけるように、頑張ります。

 

ジュリーに関するエッセイは、まだまだ続きますので、よろしくお願いします。

 

 藤谷蓮次郎

  2021年5月8日。

 

ジャーナル 1979年の沢田研二(後半)

20210506 夜

 

1979年は、沢田研二さんと製作チームにとって、試行錯誤の年だったように思います。

勝手にしやがれ」の大ヒット以降、豊穣の78年を駆け抜けてきた彼が、79年の「カサブランカ・ダンディ」「OH! ギャル」の二曲で、美形の遊び人のパロディを演じることに嫌悪を感じた。これに対し周囲は、大人の男の色気を感じさせる歌を歌わせることで、なんとか前に進もうとした。その方向性を探すために、シャンソンだったり、バラードだったり、演歌だったり…。まあ、全ては歌謡曲の中に収まりながらですが、いろいろと探ってみた感じですね。

その意味で、いま評論しているアルバム「TOKIO」は、実に興味深いものです。

 

大人のシンガー・ジュリーは、どんな混沌から現れるでしょうか。

 

一週間に二つくらいずつ評していきます。よければ、ご一緒に、この一枚をめぐる旅をお過ごしください。

 

  藤谷蓮次郎

   2021年5月6日。

 

ジャーナル 1979年のジュリー・アルバム「TOKIO」(前半)

20210505 夜

 

 今日から、私のアメブロのJビートでは、一枚のアルバムの全曲を評していく企画を始めました。前から考えてはいたのですが、続けてやっちゃうと音楽批評だけになってしまうので、躊躇っていたのです。詩や小説、映画なども取りあげたいですし。

 ですが、一週間のうち2~3日だけに分散することにして、やってみることにします。

 まずは、私が人生で一番初めに買ったアルバム「TOKIO」について、書かせてもらいます。今日と明日の二日間で。

 本文にも書いたことですが、この「LPレコード」を初めて聴いた時、大きな違和感を感じました。今回の文章では、この違和感が1979年後半の「チーム・ジュリー」の摸索によるものだったと考え、それを解き明かすのが大きなモチベーションになっています。

 

 1979年の沢田研二――これは、私にとって大きなテーマです。

 明日もこれについて書きます。

 

   藤谷蓮次郎

    2021年5月5日。

ジャーナル 田村正和さんについて (後半)

20210504 夕

 

 (昨日の続き)

 「パパはニュースキャスター」「パパは年中苦労する」の二作で、田村正和さんに強く惹きつけられた私。この頃全く超人的な勢いで連続ドラマの主演をこなしていた田村さん。私も彼の主演のドラマのほとんどを一回漏らさず見ていたように思います。なかでも、私にとって最高傑作は、今日、アメブロで取りあげた「男たちによろしく」でした。

 まず、たしか映像クリエイターを演じていた田村さんのスマートさと、公認会計士で親友役の古谷一行さんの堅実さが、キャラクター的にぴったりはまっていたこと。また、二人の離婚を通して、それぞれの子どもへのアプローチ。対照的に描かれながらも、意外なほど現実にありそうな感情(特に、田村さんの離婚時に残された子どもの心情に、田村さんが気付く場面)に思えました。次に、ドラマの舞台が「聖蹟桜ヶ丘」駅だったこと。実はこの駅は、私の親族が若い頃に住んでいたことがあると聞いていたので、勝手に親近感を感じました。さらに、俳優としての泉谷しげるさんの存在感。また、美しい女優陣の屈託ぶりと悪戯な雰囲気(田村、古谷の両氏を誘惑する若い女性達として、手塚理美さんや春やすこさんが出ていた気がします)。そして、ドラマの世界とぴたりと重なる森山良子さんの官能的な歌声・・・。

 このドラマでは、「男女七人」シリーズほど、女性陣の感性や心情は強く描かれていないのですが、それゆえ、生意気な田舎育ちの男子高校生としては、勝手な夢を膨らませることができたのでしょうか。

 いずれにしろ、この時の田村さんのスマートさ、クールな色気は出色でした。なかなか再放送されなかったのですが、どこかでまたやってくれないでしょうか。

 

 それから、主にフジテレビ系の大メロドラマの時代があって、その後、「古畑任三郎」ですね。二十一世紀に入ってからは、単発で松本清張氏の原作の推理ものなどに出演されていた印象が強いですが、私はこれらもできる限り観ていました。

 近年はあまり出て来られないように思いますが、ご本人の納得いくように過ごされているだろうと信じ、ただ心の中で回想するばかりです。ネット記事などもいくつか出てきますが、無視するようにしています。ファンとして、ご本人の邪魔にはなりたくないので。ただ、昔の作品を振り返るものがあったら、ぜひ読みたいとは思っています。少しでも上手に思い出すために。

 

 さて、妙に思わせぶりに書いたので、私が思う「田村ドラマの主題歌ベスト5」の残り三つは何か? とお尋ねいただきました。この先、いつか文章にしようと思っていたのですが、とりあえずタイトルだけ書いてしまいます。

 ・本田美奈子「Oneway Generation」(「パパはニュースキャスター」1987年 TBS系)

 ・角松敏生「This Is My Truth」(「敵同士好き同士」1987年 日本テレビ系)

 ・福耳「惑星タイマー」(「誰よりもママを愛す」2006年。 TBS系)

     の三曲です。それにしても、1987年の田村さんは、なんぼなんでも働き過ぎではないでしょうか。他に、アルフィーさんやチェッカーズさんも、入るような気がします。まあ、その時の私の感性次第ですが。

 

 なお、大学時代に日本映画の歴史を辿るべく名画座に通い詰めて片っ端から見た旧作邦画の中で、最もハンサムだと思った俳優のうちの一人が、阪東妻三郎さんでした。ヤクザな「無法松」を演じて色気がみなぎっていること。――田村兄弟のお父さんは流石だな、と思ったものです。

 

 長くなりまして、すみません。

 明日のアメブロでは、ジュリーのアルバム曲を取りあげます。

 

   2021年5月4日

    藤谷蓮次郎

 

  

ジャーナル 田村正和さんについて(前半)

20210503 夜

 

私のアメブロでは、今日からJビートの新作を公開し始めました。

今日はまず、平山みきさんの「冗談じゃない朝」について書きました。平山さんの魅力については、知っている方は言うまでもないことでしょうし、知らない方は、ぜひこの曲と「真夏の出来事」を聴いてみることをオススメします。無料の動画サイトも、有料ネット配信の音源もあるようです。

 

さて、ここでは、アメブロで脇役を務めていただいた田村正和さんについて書きます。

私は、周囲の友人たちからは、とても頑固で、なんにつけ自分の好みははっきりしていると言われています。ですが、自分ではあまりそういう風には思いません。私の感性ほど、変わりやすいものはないと、自分で知っているからです。

 

というのも、もともとは大嫌いだった存在に対し、いつの間にか夢中になってしまっていることがあるからです。

例えば、立川談志。落語好きを自認する私にとって、彼のビッグマウスぶりは苛立ちの対象でした。ところが、彼が落語に関して書いた本を何冊か読み、その先人たちに対する評価の的確さを知り、一度は見てみようと思い直し、その高座を見た途端・・・。

また例えば、ビートたけし漫才ブーム時代の乱暴さを嫌悪していたのですが、彼の映画「ソナチネ」を観て以来・・・。

そして、田村正和さん。あまりにかっこ良すぎるので、キザだな、嫌味だな、としか思っていなかったのです。だから、チェッカーズの曲もヒットした「うちの子にかぎって」までは見ていなかった。それが、「パパはニュース・キャスター」で一気にやられて・・・。この俳優さん、こんなに面白い人だったんだと思い直しました。

私は、何か感性の奥で惹かれるものを感じると、それがまず嫌悪感になるのかもしれません。三人とも、いったんその良さに惹かれ始めてからは、もう夢中ですから。

 

とはいえ、沢田研二さんや水谷豊さん、萩原健一さん、杉真理さん、佐野元春さんのように、初めから大好きだった人たちもいるので、そこに一定の方向性を見るのは到底不可能ですが。

 

まあ、節操のない感性なんですね。

 

長くなりましたので、田村さんについては明日も書きます。

 

  (明日に続く)

明日から、Jビート再開します。

20210502 夜

 

明日から、Jビートの新作を始めます。

書く時間をなんとか作って、公開していきます。

 

明日、明後日は、女性シンガーたちの80年代の曲です。

 

ぜひお楽しみ下さい。

 

 藤谷蓮次郎

  2021年5月2日。