ノート One More Time , One More Chance
20210202 夜
本日、アメブロの「失恋の寄り添い人シリーズ」で公開した山崎まさよしさん「One More Time, One More Chance」については、もともとは「えらく泣かせに入った曲だな」と思っていまして、聴かないようにしていました。つい昨年、なんとなくストリーミング再生で聴くまでは。
聴いてみると、本文にもちらっと触れましたが、ほとんど生き死にの話まで進んでいたので、怖くなってしまった。「ここまでしつこく(失礼!)、失恋に向き合えるものかなあ・・・」と、何か、かなり若い人が想像で、頭の中の失恋を形にしただけの歌のように思ったのです。
何より、タイトルがあまりにも幼稚というか。
とはいえ、昨年ゆっくり聴いてみると、山崎さんの才能が十分に満ち満ちた曲だな、と思ようになりました。こっちが、このむずがゆくなるような失恋の強調自体には距離をおいて感じられるようになったからかもしれません。あの声とギターで、五分を遙かに超える時間(amazon music だと5分30秒です)、聴く者をしっかり曲の情感に浸らせるのは、すごいことだなと感じ始めたのです。
そう考えると、この歌の「若書き」な感じが、実は肯定的な意味を持っているのではないかと思考しました。
さて、その結果が、今回の文章です。
「底」を「底」として意識する「底打ち」体験を聴く者に与えること。その暗→明の転換こそ、私が若さと感じたもの。この曲の守り人だったのではないかと。
以上は私の勝手な考えです。皆さんのご批判に委ねます。
今日も、明日も、これからも、小説は19時更新です。あと僅かで完結です!
どれでも、ご意見は歓迎していますので、よろしくお願いいたします。
2021年2月2日
藤谷蓮次郎