ノート (萩原健一・「ラスト・ダンス」の彼方へ)を始めるにあたって

20210207 夜

 

明日の朝、7時半から私のアメブロで、「萩原健一・『ラスト・ダンス』の彼方へ」というエッセイを、(Jビート エッセイ987の⑯)として、約一週間連載し続けます。沢田研二さんの「勝手にしやがれ」を論じた時と同じように、一曲に焦点を置きながら、ショーケンという表現者の人を惹きつける「色気」を考えてみたいと思っています。

ただし、歌手として一点の中心を持つ円を描くジュリーと違って、歌手・役者という二つの重心を持つ楕円を描くショーケンなので、「役者=歌手」の重なりとズレを視野に入れていくつもりです。そのため、彼が二十一世紀に入って書いた(口述筆記でしょうね)二つの自伝『ショーケン』(2008年3月)、『ショーケン 最終章』(2019年5月)を基礎に、彼の歌の中に入っていきたいと考えています(ともに、出版は講談社より)。ショーケンさんの死後、彼を論じた様々な文章があるようですが、今回は全く見ずにやってみます。もちろん、今後さらに深める機会が持てれば、できる限り参考にさせてもらいますが。

というのも、実はまだショーケンと格闘中でして、本当に発表が間に合うのか、不安になっているからです。見れば見るほど、聴けば聴くほど、彼以外の情報を遠ざけたくなるような、とてつもない人物だと実感しています。

では、明日の朝、アメブロで! 間に合わなかったら、すみません。

        藤谷蓮次郎

         2021年2月7日