ノート 萩原健一さんについて格闘中!

20210208 夜

 

 今日の朝から、萩原健一さんについてのエッセイを公開し始めました。月~木の四日間連載するつもりで始めましたが、もっと長くかかるかもしれません。昨日もお伝えした通り、まだ毎日格闘中なのです。おおよそのスケッチは描いてみたのですが、まだまだいろいろなイマジネーションと迷いが出てくる状態で、かなり困惑しています。「ショーケンさんて、変な人ですね。」「困った人ですね。」と感じながら、どんどん引き込まれていくんです。だから、言いたいことが次々浮かんでは、「待てよ。的外れかもしれないぞ」という思いも次々浮かんで、言葉にするのに一苦労なのです。けれど、今の時点でも、私が彼の魅力の中心に見ている「力」自体は揺らがないので、「こうなりゃ今週いっぱい、毎日直し続けてやるぞ!」と腹をくくりました。皆さん、どんどんご意見下さい。

 

 では、当初の3~4日より大幅に伸びて、一週間程度は続きそうなエッセイを捧げるショーケンさんについての思い出。

 小さな田舎町に育った私は、同世代の多くの人と同じように、テレビっ子でした。野球やプロレスといったスポーツに胸躍らせる日々の中で、芸能人のヒーローは、ドリフターズ沢田研二さん、水谷豊さんでした。この人たちの並びも、同世代の人たちには違和感なく理解されるでしょう。

 ショーケンさんについては、何か「怖い人」の印象が強かったです。それはそうでしょう? テレビでは警察に捕まった場面ばかり報道されていたし、このころの彼が主戦場にしていた映画は、子供の観れるものではなかったですから。それに、今は亡くなった私の母が、いしだあゆみさん贔屓で、「こんないい女を泣かすなんて!」って、ショーケンさんに対してずいぶん怒ってましたから。

 とはいえ、「ジュリー」、「水谷豊」に憧れた私としては、「萩原健一」さんへの興味はずっとありました。特に、「傷だらけの天使」というドラマがあって、そこで時々小堺一機さんが物まねしてみせる「アニキィ、ア~ニキィ~」という水谷豊さんの呼びかける「アニキ」が「萩原健一」さんだと知って、ぜひ観たいという思いが強くなりました。

 そして、念願叶って、私が高校生くらいのころ、昼の時間帯で、「傷だらけの天使」が再放送されました。当時、私の家にはビデオがなかったので、とにかく全力で学校をサボったり、早退したりして、このドラマを観ました(といっても、何本か見落としましたが)。

 結果、夢中になりました。

 数年後、近くのレンタル・ビデオ屋でアルバイトした際には、「前略、おふくろ様」の第一シリーズを全巻観ることもできました。

 東京の大学に進んでからは、神代辰巳という映画監督の作品に完全にはまって、あの「傷だらけの天使」の何本かをクマさんが監督をしていたと知り、ショーケンさんへの敬愛と親近感が、絶対的なものになりました。

 

 そして、彼の歌との出会いです。・・・

 すみません。長くなりますので、明日に回しますね。

 

       藤谷蓮次郎