ノート ショーケンと清志郎

20210212 夕

 

 本日、私のアメブロは、RCサクセション≑清志郎を論じたものの第一章。その最初の3分の1と、ショーケン論の続きを公開しました。
 RCについては、RCの曲を本文中にまぶしながら、学校のスクエアな存在感や関係性に満ち足りぬ人への導きとして清志郎が想起されます。ここから、明日、明後日と第一章は続きます。
 ショーケン論については、ジュリーとショーケンの共通点について多く説明しています。お読みいただきたいです。同時にもう一つ、注(※印)の部分で、清志郎さんとの共通性も言っています。こちらはほとんど説明できていないので、少しだけ言わせて下さい。
 この二人は、実はとても共通点が多いのです。列挙すると、
・生まれた年がほぼ一緒(ショーケンが一歳上)。
・東京の都心部ではない地区で中・高校生活(ショーケン=北区、清志郎=日野)。
・「ロック」というより、ブルース~ソウルに惹かれる。
・「歌謡曲」へのコンプレックス、憎悪、親しみの混じった複雑な思い。
・最初に「売れた」形を嫌って失墜し、別の形で地位を固めた。
越路吹雪のカバー曲が代表曲の一つ。
 そして何より重要なこと――・全く個性的なボーカル・スタイル。
 などです。
 高校生くらいから二人に憧れてきた私としては、いつの日か、この二人を同じ文章(私にとっては「ステージ」!)に並べて書いてみたいと思っていました。今回は、その希望が始めて他の人に見られる形で、外に出たものとなったわけです。
 ショーケン清志郎――ぜひいつか、思い切り書いてみたい(「思い切りライブしたい!」)テーマです。ブログと共に、どこか出版してくれる骨のある出版社を探そうかと思っています。皆さん、もしお心あたりがあれば、教えて下さい。(もちろん、ジュリーについてもいずれはそうしたいと思っていますが。)
 ところで、このショーケン清志郎の共通点の最大の核(先ほど挙げた共通点の多くの項目が発する理由となる本質)は、実はショーケン論の結論に出てきます。この二人に大瀧詠一さんを加えた三人の共通性が、私のショーケン理解、清志郎理解の核心となります。
 ぜひ、最後まで、おつきあい下さい。
 明日のアメブロも、
  7時半にRCサクセション=清志郎
  10時にショーケンです。

 よろしくお願いします。

 

     藤谷蓮次郎
      二○二一年二月十二日