ジャーナル ショーケン論のまとめ。意見は多様であるべきと思うこと。

20210215 夜

 

本日、アメブロで、ショーケン論を完結しました。先週の月曜日から八日間連続で連載しましたが、お読みいただけたでしょうか。

 

さて、今日は、いただいた投稿に関して。

今回のショーケン論は私の考えをまとめたもので、いつまでも少年的な求愛をその全身に漂わせたことが色気となったとショーケンさんを論じました。そこで、「ラスト・ダンスは私に」を象徴的な曲として、そのお母さんへのこだわりが主な原動力だと位置づけました。

この際、「母恋い」の心情があるのは事実ですが、一般的な母親への甘えとは違うと考えています。どうしようもない自分を受け入れてくれる絶対的な合一感に留まり母への思慕を募らせるだけでなく、そういう自分と母が、何かすごくバランスを欠いた関係性であり、その受容性の高さに溺れたら自分は生きていけないという緊張感が彼を突き動かしたと考えるからです。現在、世間一般で言われているような親子の仲の良さを認めながら、それに対する強い緊張感もあるわけです。

そういう緊張感で踊り出しているのがショーケンの肉体だと、論じたかったわけです。

 

とはいえ、ここで説明してもごちゃごちゃしてしまうくらい、複雑な話だったかもしれません。よく男性にとって母親は特別な存在だと言われますが、少し単純過ぎると思うのです。父親だって、兄や姉、祖父母だって、自分が子供のころに周囲にいた大人は、男の子にとっても女の子にとっても特別ですよね、私としては、母への思慕と合一感があるだけではただの甘ったれで、ここに対する反発や離反感が、彼を支えていたように思ったのです。

いかがでしょうか? ご意見いただければ幸いです。

 

なお、いろいろとご意見をいただいている中に、大変に謙遜されていらっしゃる方が見えますが、そんなに控えめになさらなくていいのではないかと思います。私は、ただ自分の思いを書いているだけですから、他の方の考えを否定したいとは全く思いません。

皆さん一緒に、素晴らしい作家、アーティスト、作品を、様々な面から楽しみませんか。ただ、他の人や作品を挙げて論じる以上、あまりにも思いつきで言いがかりのようになることは避けたいと思っています。私は浅く狭い人間性しか持ち合わせていない人間ですから、他の方を批判する権利なんか持っていません。不当なことには強く抗うつもりですが。

以上、今後もよろしくお願いします。

 

さて、明日はジュリーVSショーケン5番勝負。1番目の勝負。先手のジュリーからです。詳しくは、アメブロに書きました。ぜひお読みください。明日の朝7時半、アメブロです。

新しい小説も19時更新になります。こちらもよろしくお願いします

 

   藤谷蓮次郎

    2021年2月15日