ジャーナル ザ・プライベーツ「気まぐれロメオ」をめぐって

20210302 夜

 

今日の私のアメブロは、昼に、一月の初めごろに書いたザ・プライベーツの「気まぐれロメオ」に関する文章を、再びTwitterに貼り付けました。いま、Twitterの検索で「ザ・プライベーツ」さんと入力すると、私の文章にリンクするものがいくつか出てきます。ぜひ、お読みいただければと思います。

プライベーツさんとこの曲に対する思い入れはそちらで語らせてもらっています。ここでは、なぜ二十年以上経った今、その存在を思いだそう、聴き直そうと主張するかを、話させていただきます。

 

私が思うには、80年代の日本社会には、政治的・文化的な大きな変節点があったのではないか。それは、多くの経済・政治・社会学者なども指摘するように、日本社会全体に起こった変化。もちろん、世界的には、西と東の対立による二極構造が東側の崩壊によって溶解した事実に象徴される動きでしょうが、日本国内で何が起こったのか。――それを個別の事象に即して見ていきたいというのが、私が芸術・創作・文化を論じる基本のモチベーションなのです。私がよく文章で下敷きにするジョック・ヤングの「過剰包摂社会」という概念は、自分の関心に近い語として、後から見つけたものです。

 

私は80年代、まだ「ロック」というものは「不良が聴く音楽」とされていた時代、都市部ではそうでもなかったのでしょうが、私が育ったような田舎町では、やはり「ロック」とは、不良そのものの男の子たちが女の子にアピールするために歌っていた感じでした。けれど、率直に言うと、佐野元春を聴いて以降、ロックあるいはロックンロールに惹かれていた私は、不良という集団にはいなかったし、女の子の気を惹こうという気もあまりなかったのです。ただ、このような音楽が好きでした。杉真理、RCサクセション、サザンオールスターズ尾崎豊・・・。この時期の私が次々に惹かれていった私の代表的なアイドル達です。この間を通して、沢田研二氏への敬愛も変わりませんでした。むしろ、私の愛する音楽の代表は、「沢田研二的なもの」だったかもしれません。

一方、そのころ、音楽がなければ心惹かれることはなかったような人たちがいました。例えば、ザ・プライベーツさんなどは、その代表的存在です。「カーペット頭」と名乗るような髪の色などは、私の心惹かれるカッコよさではなかった。でも、私は「気まぐれロメオ」がとても好きになった。

私は実はプライベーツさんは、音で知ったのです。当時、私が働いていたレンタルのビデオ・CDショップで、入荷したCDの整理でこのシングルCDを聴いて、「ああ、これいいなあ」と思ったんですね。その時、ビジュアルにどんな人たちかは全く知らなかった。で、その後、色々調べて・・・。

もちろん、彼らがカッコ悪いと思ったわけではないですよ。ただ、自分のセンスにはないルックスだな、と思っただけで。

でも、それから、この一曲は、私にとって特別の一曲となりました。ですが、当時、私の住む田舎町には、「気まぐれロメオ」好きという人はあまりいなかったようで、誰とも話が合わず、寂しく感じていました。

けれど、このネットの時代なら、たくさんのプライベーツ・ファン、「気まぐれロメオ」好きという人たちがいるはずだと思い、投稿したわけです。

彼らについて全く詳しくなく、熱心なファンというわけでもない私ですが、(メンバーの変動はあるようですが)彼らが今でも活動してくれていると聞いて、とても嬉しく感じています。

 

このようなバンドがマイナーとメジャーの間で往来した80年代の後半から末。プライベーツの存在は、私の記憶の中で、その象徴の一つなんです。だから、今年の初めに取り上げました。

あの時期のことを、これからも書いていきたいと思っています。アーティストや作品に敬意をもって。

 

ザ・プライベーツの皆さんとファンの皆さん、陰ながら私は皆さんにいつも敬意を持っています。これからもマイペースで、活躍して下さい。

 

なお、夜七時に、アメブロで、小説の続きを公開します。

    

    藤谷 蓮次郎

     2021年3月2日