ジャーナル 最愛の子ども

20210312 夜

 

今朝から私のアメブロに、週末長編評論として、松浦理英子『最愛の子ども』論を掲載し始めました。毎週(金)~(日)の朝に公開になります。文学評論は、読んで下さる方がずいぶん少なくなるのですが、それでもこの松浦論はぜひ載せたいと思っていたのです。よろしくお願いします。

 

さて、この松浦「最愛の子ども」論は、今から三年か四年前に、『最愛の子ども』が雑誌「文学界」に掲載されたのを受けて、確か二ヶ月くらい後に、完成したものです。例によってある文芸誌に掲載を目指したのですが、またもや縁がなく、叶いませんでした。どうも日本の文芸誌は、年齢制限があるようです。少し年齢が行った人が載る場合は、学者の小遣い稼ぎであり、自己権威化に頁を貸すことに腐心しているようです。

 

私としては、現代日本最高の作家と思っている松浦理英子に対して、自分の言葉で残してみたいと思っての試みでした。この時点で単行本はまだなので、今後少し本文が変わるかもしれないなと思いつつも、その作品の相変わらずの色気には降参。すぐに書いてみたいという気持ちが抑えられなくなりました。この作品をなるべく多様な可能性に向かって解き放つことを目標にしてやってみました。

いずれは『ナチュラル・ウーマン』や『親指P』、『奇貨』などについても書きたいとは思っています。

皆さん、ぜひ、ご意見下さい。

 

なお、もう一つ注記。

『最愛の子ども』なのですが、いずれ本文でも取り上げますが、明確な瑕疵があります。それは、21世紀初頭の女子高を舞台にしている作品なのに、教師側の行動が昭和50年代で留まっていることです。たぶん、松浦さん自身の記憶によるところから発想しているように感じますが、かなり違和感のある教師像が描かれています。今どき、あんなに生徒と教師の関係は単純じゃないですよ。学校組織の変化にも、ついていっていないようですね。私は雑誌に載ることで、なんとかそれを松浦さんに伝えたかったのですが。

松浦さんほどの才能が、無理解から、時代錯誤的設定にその想像力を乗せるなどということは、大変残念なことだと私は思うのです。まあ、この文が雑誌に載らなかったので、それを指摘する機会はなくなっちゃったのですが。

とはいえ、松浦ファンの方、松浦さんとやり取りのある方がいらっしゃったら、ぜひ松浦さんに伝えていただきたいと思います。「あなたの学校像、かなりずれてますよ。」と。

 

繰り返しますが、松浦理英子現代日本最高の作家だと思っています。その(その時点での)最新作『最愛の子ども』の多面的アプローチの作品論。ぜひお読み下さい。明日も朝7時半に続きを公開します。

 

なお、今日の午後7時には、小説「やあ! ブルース・ボーイ!」の続き(「5」)を公開します。この作品も、高校が舞台です。お楽しみ下さい。

 

 藤谷蓮次郎

  2021年3月12日