ジャーナル 網野善彦

20210317 夕方

 

網野善彦という歴史学者について、今さら何を書く必要があるのか? という問いがあるかもしれません。私は、必要があると考えます。いまだ言われていないことがありますから。

この文章自体は、網野さんの死を受けて、たぶん十五年近く前に書いたもので、発表の機会がないままでした。こうして、見ず知らずの方々に見て頂けるチャンスが出来て、心から嬉しく思っています。

 

さて、ここでは、西洋中世史の阿部謹也さんと並び、日本中世史研究を大きく超えて一般書もたくさん残した「網野史学」の評価そのものには触れず(歴史学者ならぬ我が身には全く手に余ることです)、ただ読書体験としての「網野本」の面白さ、その生命力について、素人として書こうという決意から書き始めました。「無縁」「アジール」など、刺激的だが簡単に図式化できる装置を用いながら、文章自体が十分に活性化していることが網野読書の求心力だと思ったのです。少なくとも、網野本を読めば、宮崎駿もののけ姫」を観て、「まさにこの世界だよなあ・・・」という人一倍強い感慨を持つことは確かでしょう。もちろん「トトロ」でも、「ポニョ」でも、「宅急便」でも、同じく、「網野知らず」より、「網野経験者」の方が強い体験となるはずです。私はここを論じたいと思って書いています。

そこで、彼の一般向けの本の中で一番面白いと私が思う『蒙古襲来』を中心に扱うことにしました。が、この文章にそれが出てくるのは、まだ先です。

少しの間、継続的におつきあいください。

 

なお、網野さんの甥っ子さんということで中沢新一氏の文章もよく参考にしますが、私は中沢さんの思想自体は肯定的には考えていません。ここでは、関係深い人物の一人として扱うのみです。

 

以上、よろしくお願いいたします。

明日は、松浦理英子論の「1」の最初の部分の公開、網野論の続き、小説の公開となります。

 

  藤谷蓮次郎

   2021年3月17日