ジャーナル トトロと網野史観
20210318 夜
アジールという観念に基づいた構成力ではやはり「もののけ姫」につきますが、ここでは「トトロ」との接点を。
まずは、トトロの舞台の周縁性。東京と埼玉の境にある田舎に引っ越してくる場面から始まりますが、「秩序と混沌」のエッジが舞台になるということですね。
次に、トトロの姿は、さつきとメイにしか見えてません。つまり、「♪子供のころにだけ/訪れる」体験。子供とは、まさに秩序に包摂しきられていない存在ですね。
さて、ここまでは今までも多くの人が指摘してきたことですが、さらに私はここでもう一つ、指摘を加えたいのです。それは、私が愛するジブリ作品のルーツ「パンダコパンダ」との比較で浮かび上がります。トトロは、人間の言語を解するが話すことはないという言語的境界存在であることです。気になる方は、パパンダとパンちゃんを見てください。彼らはペラペラしゃべります。対して、トトロたちは一つもしゃべりません。つまり、そういう言語と非言語の境界でなければ「トトロ」は描けなかったのでしょう。
以上のような「秩序」と「非秩序」の往還性こそ、網野史学に通じる力ではないかと考えます。が、そのような図式化の限界を超えることもまた、今回の文章のテーマです。
来週、もう少し続きますので、よろしく。
今夜はこの後、夜7時に、小説「やあ! ブルース・ボーイ!」を更新します。
そちらもよろしくお願いいたします。
藤谷蓮次郎
2021年3月18日