ジャーナル 水谷豊さんについて

20210510 夜

 

水谷豊さんについて、まず歌を、それも愛すべき小品「あす陽炎」からとりあげることになろうとは、思いませんでした。アメブロで書いたように、「熱中時代」から、彼はジュリーと並ぶ私の最高のアイドルでしたので、いろいろ考えこんでしまって、対象を決められなかったのです。結局、動画に出会った偶然から、このご縁で行っちゃえ、と。

 

というのは、私は彼の俳優としての姿に惹かれたので、ドラマか映画で始めようかという迷いがありました。日テレ系のドラマの視聴率がだんだん下がっていくころも私は大好きで見続けたことを書いておきたいと思っていましたし、浅見光彦さんも水谷氏がナンバーワンだと今も信じています。また、映画「青春の殺人者」のゴダイゴが流れるラストシーンの水谷氏の表情も忘れられないし、さらにあの「傷天」です。要するに、語りたいことが多すぎました。今回、突破口が見つけられたので、これからいっぱい書かせてもらいます。どうぞよろしくお願いいたします。

 

そこで、一つだけ私にとって忘れられない思い出を。

私は大学生のころ、新宿区にある大学のすぐ横の安アパートに住んでいた時があります。そこで偶然、ドラマのロケをしている水谷さんを、何度か見かけたことがあるのです。その度にすっかり興奮して、今はもう亡くなった田舎の母に電話をかけたことを今でも思い出します。

「よかったね。嬉しかったね」

 母は少しの屈託もなく喜んでくれたものです。

「あの子にとっては、いつまでも水谷豊なんだね。それだけでも、東京に出してよかったのかもねぇ」

 そう言われた兄も一緒に笑っていたそうです。

 

  藤谷蓮次郎

   2021年5月10日。