三遊亭円丈論の終わりに際して

20210516 夜

 

今朝、私のアメブロでは、約1ヶ月の間、週末ごとに続けた「三遊亭円丈論」を完結しました。今までお読みいただいた方々、ありがとうございます。また機会があれば、落語論をやりたいと思っています。当面は落語から外れることになりますが、その際にはまた皆さんにお知らせいたします。

 

私が落語にイカれたのは、大学生のころ、近所の区立の図書館で貸し出していたCDで、三遊亭円生師の録音を片っ端から借りて聞いていたことが始まりです。もっとも、田舎の高校の同級生が落研で活動していて、いくつか聞かせてもらったりはしていましたが。

 

それからは、その図書館にあるいろいろな名人上手のCDはあらかた聞き切って、今度は自分でレコード屋さんのCDまで、可能な限り買うようになりました。

そのころ、私がゾッコンだったのは、やはり志ん生でした。文楽三木助がそのすぐ下の感じ。そして、円生、小さんと言った名人たち。ただ、その当時不思議だったのは、なにやらそのネタだけが素晴らしいという上手がいたことでした。例えば、柳好の「野ざらし」、馬の助の「七段目」というような。

これにある程度の理解を与えてくれたのが、談志の著作でした。

 

それ以降、寄席やホールにも通い詰め、特に新宿末広亭の土曜深夜寄席では、この人はきっと売れるだろうな、と思う二人を何人か見ました。その予感は、ある程度当たりましたが。

 

やがて私は、自分で落語を書き、故・山遊亭金太郎師匠のネタに採用してもらったりしました(「とんぼ屋」というネタです)。

 

三遊亭円丈師も、実験落語か応用落語のどちらかの会で見ました。その時、ああ、この人について書いてみたいな、と思ったものです。もし僕が落語を論じるなら、まずはこの人だと。彼を論じることは、談志さんとは別の方向で、現代の落語について丸ごと考えることになると思ったからです。彼はそれほど、重要な落語家です。

そして今回、長年の希望を形にして、皆さんのお目にかけました。

あとは皆さんのご批評にお任せします。ぜひご意見ください。

 

最後に、ありがとう、落語。

ありがとう、三遊亭円丈師匠。これからもお体に気をつけて。

 

  藤谷蓮次郎

   2021年5月16日。