神田山陽さんは、どこに行ってしまったのか?
20211010 夜
昨日、久しぶりに時間があったもので、ついつい私の「お笑い愛」を、大好きな漫才コンビ「おぼんこぼん」さんの記憶とともに書き送ってしまいました。そうしたら、お笑いや映画について書きたい気持ちが、溢れ出てきました。
ですが、どうしてもいま、アメブロでは、平日がジュリー、週末は文学評論の二本立てが当面続きますので、このはてなブログのほうで、時間がある限り、それ以外も書いていきたいと思います。
私が寄席に通ったのは、90年代の十年間のことです。主に、大学を挟んだ両サイドにある新宿末広と池袋に、それぞれ歩いて通ったものです。
当時、特によく通ったのは、新宿末広で土曜の夜にやっていた「深夜寄席」でした(今はどうなんでしょう?)。
確か五百円と安かったので、時々酔っぱらいが入って来てうるさいということはありましたが、二つ目の若手が三人か四人出てくるのが楽しく、よく通いました。
全員まだ二つ目の時代で、中にはかなりの大惨事を引き起こす演者もいましたが、「この人は売れるだろうな」と生意気な大学生なりに感じた人たちがいます。
まずは、まだ笑いが多くない新作をしていたころの喬太郎さん、落ち着きがよかった平治さん、そして今回とりあげる講談師・神田山陽さん。などなど。他にもいらっしゃいますが、この三人の印象が強かった。たい平さんも見たように思いますが、他の寄席だったかもしれません。彼はとにかく、群を抜いて明るかった。
さて、この山陽さん、実に面白かった。講談師さんは、講談の現状など語りながら、少し自虐的になることが多いですが、彼はそんな話も突き抜けた感じで明るく、スピード感があった。見た目のフラもあって、何度か見たけれど、「この人絶対売れる!」という感じが強くなりました。
その後、私が東京を離れてから、地方局の番組のナレーターなどで見かけて、嬉しかったのです。また、一時期、昇太さんたちのグループとも近かったようですし。
なのに、講談の売れっ子が出てきた今、並ぶ才能を持つ神田山陽の名前をなかなか聞かず、寂しく思っています。
ネットの噂話に、田舎に引っ込まれたかのようにも聞きましたが、私は彼のファンです。
活躍して欲しいと思っています。
藤谷蓮次郎
2021年10月10日