短歌の想像力

20210724 夜

 

私は短歌を読むのが好きなのであって、歌壇には関わりたくありません。一般の文芸誌に載っている歌人と称するに安易なコラムニストの人たちも、問題にしたくありません。日本には、芸術としての文学を人々と共に楽しもうという編集者はいないようです。それが私が、文芸ジャーナリズムから離れた理由ですが、それでも自分の納得いく文章を求めてくれる人がどこかにいるのではないかと思い、書き続けていきます。

 

今日、アメブロに載せた文章のように、短歌作品の中の想像力に入りこみたいのです。

 

明日も続きます、

 

  藤谷蓮次郎

  2021年7月24日。

吉野秀雄に関するエッセイについて

20210723 夜

 

 今日のアメブロは、歌人・吉野秀雄論の続きでした。

剛情なイメージをもっている吉野が、思うにまかせない人生経験を通して、自らの周囲の人物達にむしろ「育てられている」姿を、その短歌に刻みつけます。

 現代の歌壇は短歌を読まずに凡庸なイメージの押し付け合いで交際しているだけの場ですから、こういう文章は、まず雑誌等には載せてもらえません。学者も同じです。彼らは、短歌を読むのではなく、自分の保身を企ててるだけです。

 私はそれをずっと不満に思っていますが、自分の文章を思ったよりおおくの方に読んでもらえて幸せです。

 

 ご批判をお願いします。

 

  藤谷蓮次郎

   7月23日

ジュリーのボーカルスタイル

20210722 夜

 

今日のアメフロは、ジュリーのボーカルについて、同時代の他のアーティストたちのなかにおき直した文章の再公開です。このころ、1000を越えるようなアクセスをいただくこともあって驚きもし、嬉しくも感じましたが、それ以上に、私がジュリーについて書きたいと感じる方向性が見えてきたことで、とても印象深い文章です。

 

ですが、私はいま、沢田研二さんという存在について、もっと深く広く考えた文章を模索しています。

それで、次の文章が書けなくなっていますが、もしお待ちいただける方は、気長にお待ちいただきたいです。

 

明日は、吉野秀雄です。

 

 藤谷蓮次郎

  2021年7月22日。

ショーケンの型

20210721 夜

 

ショーケンは、「型」との距離感だと、私は思うのです。

そんなところから、今日のアメブロは動き出しました。

 

明日はジュリーです。

 

 藤谷蓮次郎  

   2021年7月21日。

ジュリーの歌声

20210720 夜

 

今日のアメブロ再公開は、沢田研二さんについての考察で、ごく初期の文章です。たしか二番目のものです。

このころ、かなり真剣に考え込んだことが、今なお続く、私なりの沢田研二像の模索の端緒となっています。

明後日も、続きます。

もうしばらくしたら、止まったままの「GS I LOVE YOU」のアルバムアプローチや、ジュリーに関する新しい文章をまた出していきます。

 

明日はショーケンです。

 

 藤谷蓮次郎

  2021年7月20日

ショーケンとブルース

20210719 夜

 

今日、アメブロに再公開したショーケン論の「5」は、最初に公開した時、キヨシロー(忌野清志郎)氏を論じた文章と同時掲載になって、両者をアイドルとしてきた私にとっては、感慨深いものがありました。今日、再公開して、その時の感激が鮮烈に甦ってきました。

 

最初の時もたしかここに書いたように、二人を「ブルース」で繋げた文章を、いつか書いてみたいと思っています。

 

 藤谷蓮次郎

  2021年7月19日。

今週 7月19日~25日の予定

20210718 夜

 

今週の予定です。

平日は、ショーケン、ジュリーについてのエッセイの順で、交互に再公開していきます。

週末は、吉野秀雄論です。地味な文章ですが、ここまで予想より多くの方に読んでいただけて、嬉しいです。

 

今週もよろしくお願いします。

 

 藤谷蓮次郎

  2021年7月18日。