柳家小三治の「爆笑」

20211011 夜

 

昨日、当代・柳家小三治師が亡くなられたとの報道がありました。

当代や先代の小さん師に文句をいうつもりはありませんが、やはりこの人が継ぐべき名前だったのではないかと考えます。もちろん、たくさん持ち歩かれていた薬を見る限り、ご体調の問題は大きかったのではないでしょうか。それを押して芸の道を歩かれるのに、大名席は重荷だったかもしれません。

 

私は、末広亭で何度か、小三治師の高座に触れました。残念ながら大きなネタのときは一度もなく、「強情灸」を覚えているくらいです。何か全身から威厳のようなものが発散していて、近寄りがたい緊張感があったのを覚えています。いつも、大笑い、というのではなくても、今日はいい落語を聞いたな、と思わせてくれたものです。

 

ところが、私は爆笑をとる小三治師に、後年、出会いました。それは、東京を離れてから買った、小三治師の噺のマクラばかりを集めたCDシリーズで、です。マクラ、というか、漫談そのもので、数十分繰り広げられる噺です。購入以来大好きで、1年ほどは車の中でヘビーローテーションだったのですが、悔しいことに、車上荒らしにあって持っていかれてしまいました。

このCD、私が聞いた落語CDの中でも、5本の指に入る爆笑ものだと私は思っています。

 

中でも、小三治師のバイクに洗濯物を干していたホームレスの人との噺。バイクに下着を干されるエピソードすら微笑みに変えてしまう関係性があります。

もう1つ、たまごかけご飯の噺。中に仙台のおばさんに注意されるのに対して、小三治師が不満を持つくだりが、差別的なのに、笑えてしまう。私は仙台に縁がありますので、我ながら意外な反応ですが。

 

こういった漫談ですと、落語の仙人のような小三治師が、確かに自分たちと同じ時代に生きてくれていたことを感じます。私は特に、小三治師のバイクの停まっていた街で学生時代を過ごし、仙台や東北地方にも縁がありますので、こういった噺を身近に感じたのかもしれません。

 

しかし、なんと言ってもこの体験が嬉しかったのは、柳家小三治という本格派過ぎて一見地味な落語家が、とびきりのユーモアセンスの持ち主だったことを実感できたことです。

 

常日頃、柳家の大黒柱として構えていたこの人も、お笑いの神に愛された人だったのは、間違いありません。

 

柳家小三治さん、ありがとうございます。

あなたの、本当は人懐こい笑いが、大好きです。

 

 藤谷蓮次郎

  2021年10月11日