佐野元春論・大乗ロックンロールの言葉と自由 「3」アンバランスな大乗ビート

Ⅲ アンバランスな大乗ビート
  ――繊細(デリケート)な天使、鬱な仏と出会う(九十年代後半以降)


 キャリアの初期から、佐野元春は、自分に先行するアーティストたち(ボブ・ディランルー・リードブルース・スプリングスティーンら)の「エンジェル(天使)」へ向ける視点に注目してきた。「何者からも汚されることのないシンボルだったり、あるいは敗北者たちを慰める看護婦だったり」する存在としてそれを認め、自分の歌の中にも様々に登場させてきたと彼は語る(城山編/2001 p99)。つまり、彼のロックンロールには描かれている世界を包むコスモロジックな観念があるのだ。敬愛するロック・アーティストたちと同じように。このエッセイの中でブルース・スプリングスティーンの「カトリック的」な世界観と現実の生のぶつかり合いを指摘するように、佐野はこの世界を歌う上で、宗教性を排除しない。それは、一般のリスナーが年齢を重ねるに従って、少しずつ日常生活と接した宗教性への理解を深めていく趨勢に合っている。もちろん、それは典型的な俗物の変化に過ぎない。しかし、エンジェルという存在に込めた観念を彼なりに深めた時、佐野は日本の土着宗教と習合した仏教と出会った。そこには、日本独自の変化を加えた大乗仏教があり、数え切れない歴史の変転を経て日本らしい風貌となった仏がいた。その前で念仏を唱えることも座禅を組むことも厭わない彼の胸の中には、しかしいつもエンジェルが歌い、踊っているはずだ。
 日本型の大乗仏教の精神と葛藤するロックンロールであることーーこのことが、真に佐野元春を世界的にユニークな存在にしている。注目すべき事実は、佐野のロックンロールが、決して宗教的な解釈に包囲されず、ロックンロールとしての魅力を第一としていることだ。
 この章では、彼が宗教に惹かれていく理由を論じた上で宗教そのものにさえ囲繞されないアーティスト性を維持していることを述べ、その可能性の中心に迫る。
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 二○一八年に「禅ビート」と題されたツアーを敢行した佐野元春。そのタイトルは、『Maniju』のナンバーから取られている。〈マニジュ〉というアルバム・タイトル自体が、仏典に出てくる功力を備えた宝珠類を表している。現在の佐野は仏教への傾倒を隠していないのだ。
 佐野元春と仏教思想の関わり――それは、彼が日本のロック・シーンにとって最も問題的だったあの八十年代半ばに、すでに次のリリックで示されていた。
  たった3ドルのチープなコートが風に揺れている/いつかすべてが愛しく感じられる  まで/君と歩いてゆく/いつかすべてを等しく感じられるまで/君と歩いてゆく//
  ビートは続いていく(ビート・ゴーズ・オン)
          (「COME SHINING」 『VISITORS』収録)
「すべて」に対しての「愛しさ」と「等しさ」が等値されるこの感性は、佐野がそれまでまとってきた「キリスト教」的西洋のイメージから、彼を逸脱させる。「愛しさ」だけでなく「等しさ」を始原に措いた時、そこで歌われるのは、「全てを同じ愛しさに感じとる」ということを意味することになるからだ。これは、日本の大乗仏教の根本たる「四弘誓願」の精神と同じものだ。最澄比叡山に入山する際に書いたとされる「願文」にも触れられているように(安藤・薗田/1974 p288)、日本仏教においては、全ての「衆生」救済が誓われる。もちろん、「キリスト教」に、そのような「衆生」救済への思いがないとはいえない。ただし、「キリスト教」には、その布教活動の熱心さに現れるように、自らを上位に置く傾向がある。「啓蒙する者」と「啓蒙される者」は、決して「等しく」はない。また、日本の大乗仏教以外の「仏教」にも、そのような「衆生」救済思想が強いとは言えない。最澄以来の日本仏教の「出家」と「在家」の等値化こそ例外的な事態と呼ぶべきであることは、今さら言うまでもない。
『VISITORS』に結実するニューヨークでの一年間の滞在中、佐野は日本を見直し始めたようだ。興味深いのは、それが、サリンジャーやビート・ジェネレーションの作家・詩人たちという、彼の愛読するアメリカ文学の人々の読み直しによって導かれたように見えることだ。
 後年、佐野本人は自分にブッディズムへの興味をかき立てた存在として、サリンジャーの読書体験を挙げている。知的好奇心旺盛な佐野がいつブッディズムに興味を持ち始めたかは特定しにくいとはいえ、ニューヨーク滞在時からより強くそれを意識するようになった可能性は高い。海外に渡ったことによって、改めて日本文化を意識するようになること。それ自体は全くありきたりなことである。しかし、佐野の場合、その傾向は特に顕著だ。ロンドン・レコーディングで作り上げた『ナポレオンフィッシュと泳ぐ日』で、完全に日本語のみのリリックで一曲を仕上げたような例もあるから(「約束の橋」)。
 仏教理解の側面から考えれば、佐野の志向は、大乗仏教に基づき、密教浄土教の二極に伸びていく。それは、「あるがまま」の肯定に向かうが故の官能性と、「他力」信仰に向かうだらしなくも底知れなくも感じられる通俗性を含み持つ。にも関わらず、佐野自身が作品の形にするブッディズムは、禅宗に偏っている。これは、鈴木大拙の影響下、「日本のブッディズム=禅」という等式で受容したアメリカ文学者たちの思想を、彼もまた引き継いでいるからだろう。しかし、『禅と日本文化』などを読む限り、大拙が述べる日本の大乗仏教は、やや通俗味が強すぎるように感じられる。紹介されているエピソードの一つ一つが仏教に親しみのないアメリカ人にも分かるように選られ、禅宗に価値を置きすぎている(suzuki/1938)。こうした偏向が、サリンジャーの『フラニーとズーイ』の「フラニー」に念仏宗浄土教)の影響が描かれても、禅宗からの論究が誘発される状況にも繋がっているようだ。近年では安藤礼二鈴木大拙論でも、華厳や禅に配する視点に対して、浄土への問題視がやや軽いように感じる(安藤/2018)。しかし佐野自身には、鈴木大拙の普及する禅宗のイメージを越える広がりがある。
禅宗」と「念仏宗浄土教)」は、日本仏教にあって、「自力」と「他力」の両極を保つ。さらには、強い官能を感じさせる神秘性と危険性を持って真言密教が存在する。佐野は日本仏教の主だった方向性の全てを懐胎した活動をしている。おそらくはそうと気づかずに。
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 佐野元春沢田研二という稀代のポップ・スターの存在を通して知名度を上げたことを、すでに我々は確認してきた。サエキけんぞうが指摘するように、「GS」とは、ビートルズなどの洋楽からの影響に直接ルーツを持つと考えるよりは、先行したエレキ・ブームに対する日本芸能界の受容であったと捉えるべきだろう。それはどんどん「男臭い」方面に進化していく当時の英米ロックに対して、ユニセックス的なアイドル性を前面に打ち出した。曲はいくつかの先鋭的な例外のバンドを除いては職業作家たちが作り、演奏も多くはレコーディング・アーティストたちが行い、衣装も「星の王子様風」とさえ言われるチャーミングな統一性を持ったものがあてがわれた(サエキ/2011 p208)。本来、国内のエレキ・ブームや英米のロックの影響を受けた地元の少年たちが集まり、小さなライブハウスで演奏し始めたところから始まったバンドが、日本の芸能界が誇る職人芸による完成品として「GSアイドル」としてプロデュースされた。その最高傑作こそ、沢田の所属したザ・タイガースであった(磯前/2013)。沢田はそのブームを牽引する存在でありながら、波が引いた後も歌手としてサバイヴしてきた一人だった。佐野の曲と出会うまで、そして出会った後の沢田の活動をみると、衆目を奪う派手なヴィジュアル展開にばかり目が行く。が、GS時代から続くヴィジュアル優先の世界観と相即する楽曲があった事実こそ、重要なのだ。
 いまだに名盤と呼ばれる『GS I LOVE YOU』(1980年)というアルバムに収められた佐野の曲はどれも、男らしさを訴えるものではない。「彼女はデリケート」にしても「I'm in Blue」にしても、「Vanity Factory」にしても、心揺らいだままの男たちが歌われている。これらの曲が、沢田のリスナー及び音楽業界の人々に広く受け入れられたのは、周知のところである。佐野の曲が提示した感性は、「危険な二人」や「時の過ぎゆくままに」、「勝手にしやがれ」のようなビッグ・ヒットを持つ沢田のリスナーが親しみやすいものであり、GS時代のユニセックス的な繊細さの名残りにも繋がる作品だった。それはギターを中心とする音を歪ませて屹立させたハードなサウンドのロックとも違うし、キャロルのようなバンドが打ち立てた不良なモテ男のロックとも違った。アレンジャー伊藤銀次により全体像がグラマラスに演出された沢田―佐野のコラボレーションは、マッチョ化を回避(ユニセックス的な感性への接続)して、繊細さを感じさせる。佐野元春のロックは、GSからの流れを組む感性へと接続する繊細さを持っていたのだ。
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 佐野元春における繊細さは、自己への強烈な嫌悪感を現前させる。沢田に提供した「I'm in Blue」に脈を発するこの感性が、「おれは最低」(『ナポレオンフィッシュと泳ぐ日』)、「君のせいじゃない」(『Sweet 16』)などで明確な自己嫌悪の形を取り、『The Circle』に至っては一枚のアルバム全体が、激しい自己嫌悪との争闘に費やされている印象となる。
 振り返れば幾つかの曲が想起されるように、日本の流行歌の中で、強い自己嫌悪が歌われることは珍しくなかった。特に、フォークや演歌と言われるジャンルでは親和的なテーマだった。しかし、佐野の自己嫌悪は、それとは違う。「自己嫌悪」という感情が歌われているのではなく、一曲自体が「自己嫌悪」であろうとしている。それらは自分を、嘲笑い、軽蔑し、やけになり、周囲に同情と突き放すことの両方を同時に求める。混乱の様態自体を志向する。
 佐野の自己嫌悪による混乱は、『SOMEDAY』までの初期作品においては、失恋にうちひしがれる思いに集約されるものだった。それならば、一般のポピュラー音楽の枠に十分に収まったはずだ。「バッド・ガール」や「さよならベイブ」(ともに『Back to the Street』)、「彼女」(『HEART BEAT』)、そして「I'm in Blue」であれば。しかし、彼の自己嫌悪による揺らぎは、『VISITORS』に至って失恋など問題とはならなくなり、深刻化する。それは、「Jungle People」(差別的な意図はなく、「心の混乱した人々」という意味)と叫ぶ「Wild on the Street」に明確な形で現れ(「オレを壊して欲しい めちゃくちゃになるまで」)、否定的な日本語名詞が連呼される「SHAME」にも明らかだ。穏やかなはずの休日の朝を歌った「Sunday Morning Blue」にしてもそうだし、恋人の死を嘆く友人を励まそうとする「Tonight」も、明るい印象を与えず、メランコリックなままになる。『VISITORS』というアルバムは、巨大な鬱状態との格闘が描かれたアルバムなのだ。そして、この鬱状態を歓迎するファン層こそ、GS―沢田研二の系譜に貫かれた繊細さの極北の表現として、それを受け入れる人々だったはずだ。
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「SHAME」には、「誰かのエゴが見える/誰かにエゴを見せたくはない」というリリックがある。「偽り/策略/謀略/競争/偏見//強圧/略奪/追放/悪意/支配」と続く部分も、人が自らのエゴによって他者を歪め、傷つけ、無理に従わせる言葉が並べられている。このすぐ後に、「いつか全てを等しく感じられるまで/君と歩いてゆく」と叫ぶ「Come Shining」が置かれていることからも、彼の乗り越えるべきテーマ、アーティストとして表現される揺らぎを生む感性の根本にあるのが、エゴに対する乗り越えの希求であることは明らかだ。それは容易なことではなく、繰り返される失敗の自覚のために、彼は何度も自己嫌悪に沈殿する。
 エゴに対する批判――佐野が敬愛を表明するアメリカ人文学者たちと同じ姿勢。散文で言えば、J・D・サリンジャージャック・ケルアック。韻文で言えば、アレン・ギンズバーグゲーリー・スナイダー。彼らの作品と発言には、エゴへの批判というテーマが明確であった。佐野の発言によってさらに遡れば、ウォルト・ホイットマンに至る。それぞれにユニークな文体を持つ彼らに共通しているのは、物質的な繁栄を享受しているはずのアメリカへの精神的な不安であり、それと同化しかねない自分のエゴへの恐れである。それは、美しい女子大生を卒倒させるほどに醜く(サリンジャー「フラニー」)、「カール・ソロモン」のような人物を狂人とするほど狭量で(ギンズバーグ「吠える」)、ディーン・モリアーティーやジェフィ・ライダーのような人間たちが拒否するほどに画一的な合理性に基づいた成功を押しつけてくる(ケルアック『路上』、『ダルマ・バムズ』)。そこには、「自分の利益だけ考えろ。そしてそれを得ることが絶対に正しいのだ」と強制してくる圧迫感がある。ゆえにこれを拒絶して人里を離れ、独自の生活様式を選び、そこから言葉を発する者も出てくる(スナイダー)。
 圧迫感に区劃されたエゴ。それを抜けようともがくこと――この姿勢は、エマーソン、ソローと言ったトランセンデンタリズムの精神伝統に位置づけられる。日本のポピュラー・ミュージックに関わる者としては例外的なこのトランセンデンタルな内面的希求。その「観念の冒険」(ホワイトヘッド)に基づくために佐野の拘りは個別の作品によっては昇華されず、永年もちこされることになる。そして、その精神的な揺らぎの来る場所を求め続けさせる。
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 彼が最も激しく鬱的な創作活動を見せた『The Circle』の一曲目の「欲望」。
  「これからどこへゆこう?」 誰も答えられない/「これから何をしよう?」 誰に  も見えない/君が欲しい
 他のアーティストにも躁鬱性あるいは鬱性を感じさせる者はある。それが彼らの表現の良質さをなすと見なせる場合も少なくはない。しかし、佐野の独自性は、それを長期に渡って深化させ、その観念の外型を表現するのではなく、そのような精神状態そのものである表現を目指したことにある(「誰も答えられない/誰にも見えない」という混乱のまま「君が欲しい」と叫ぶ)。それは他のロック・アーティストと違って、「男らしさ」という価値を決して重要視しない彼であるが故に、可能になったことだ。落ち込んだり、嫌悪したりする状態にある心がどこかへ向かおうともがいている姿をこそ、彼は描いている。彼はリスナーに理解できないリリックを歌うルー・リードを、「生き延びてきた人」という言葉で肯定的に評価している(佐野/1994 p222)。生きること自体への負荷の自覚こそ、繊細さの要件である。この繊細さは、佐野の曲の表現を借りて言えば「ナイーヴさ」ではなく「デリケートさ」。それは生きる上での楽しみや喜びそのものには解消され得ない傷(スティグマ)として刻印される。ルー・リードを語る佐野元春自身もまた、このスティグマ付きの人間であることは明らかだろう。
 繊細な心は、もがくのだ。もがくからこそ、それを諫めようとして、心はさらに分化し、多重化する。そのような心と心の多重化こそ、文学、音楽の違いを問わず、彼の敬愛する創作家たちに共通する資質でもある。そしてまた、彼のリスナーも、このような資質(ひどくメランコリックな繊細さを含む多重な心)を受け入れる人々だった。
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 自ら多重化し、見失いかけては取り戻そう(戻っていこう)とする心のチェイス。繰り返し、繰り返し、彼はそれを行う。すでに述べたように、九十年代の彼は、喪失していたはずの「ホーム」を探し求める姿を見せた(『Fruits』『THE BARN』『Stones and Eggs』の創作)。それは言わば、音楽で行う認知行動療法的なアプローチだったとも考えられる。
 こうした試行は、二つの重要な視野を佐野元春にもたらした。一つに、心の多重さの認識により「欲望」の観念的な把握を促し、「欲動」や「欲求」という精神分析的な概念へ接近させたこと。彼がR・D・レインに捧げた一曲をこのころ作っていることが、それを表している(「そこにいてくれてありがとう」『FRUITS』収録)。これは、八十年代から九十年代の日本の一般的知性のありようとも相俟って、彼の興味を引いた。しかし、より重要なことはもう一つの側面だ。宗教、特に仏教への接近を彼にもたらしたことだ。 
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 初めに我々が確認したように、佐野元春にとってのロックンロールは、「約束の地=SOMEDAY」への希求であった。それはつまり、どこへか分からないが、とにかく動き出そうという衝動である。これこそ、佐野の「欲望」であった。彼にとって、ここではないところに「約束の地」があるのだ。同時にそれは、「ここにイヤな奴は一人もいないぜ!」という叫びをも肯定しなければならないものなのだ。
「いま・ここ・誰でも」を肯定する叫び――この全面的な他者肯定・現状肯定と彼自身の希求との矛盾を、それを叫びだした時点の佐野が思想的な重さをもって受け止めていたとは思えない。それは多くのミュージシャンたちがステージ上で口にするような、ただの景気づけの台詞だったようにも見える。しかし、佐野元春のユニークさは、デビュー後まもなく「さよならレヴォリューション」(「ガラスのジェネレーション」)と歌いながら自分に変革(レヴォリユーシヨン)を課し続けたことであり、それを可能にした知的推進力にある。つまり、「チェンジング・セイムネス」であったことだ。あの他者肯定が人々を誘引するだけの言葉ならば、もっと自分自身にとって慰安的で肯定的な「自己像」(チェンジングでないただのセイムネス)があってしかるべきはずなのだから。
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 九十年代の佐野元春の活動は、「いま・ここ・誰でも」の精神と、むしろ反対に向かう。それは、「南無阿弥陀仏」と声に出して唱えれば誰もが救われるとする「浄土教」の絶対他力精神と敵対すると考えてよいものだ。例えば、「レイン・ガール」(『The Circle』収録)には、「同じ言葉を繰り返している/愚かなひとたちはまだ/偽りに流され/みせかけだけの/おもいやりのなかで/目をそらしている」と歌われている。ここには、法然・浄土宗式の「愚者の肯定」など、全く存在していない。この後、「十代の潜水生活」(『Fruits』収録)でオウム真理教の起こした一連の事件への批判もこめて「すべての英雄だとか/全ての尊師/ごちゃまぜの世界にからまわりさ」と歌ったように、彼のリリックの中では、全ての人物を平等に受け入れようとする感性はない。そして、このように周囲を批判するリリックが、九十年代以降はむしろ増えてきている。つまり、「Come Shining」で目指された全てに対する「等しさ=愛しさ」から、どんどん遠ざかっている。「愚者の肯定」を思想の核に置く浄土教系の他力本願は、佐野のような「デリケート」な感性には向かない。しかし、浄土への思いは残る。この時、天台本覚論的な見方では人が本来持つとされる仏性に対して、理解の分裂が起こる。日本大乗仏教の中でも代表的な自力の宗派たる禅宗。特に道元の流れを汲む曹洞宗では、禅を組むという自力がある。同じ禅宗臨済宗には白隠禅師のような社会改良家的な相貌を持つ存在すらいる(芳澤/1999)。一方、絶対他力を本願とする浄土教、特に親鸞の流れを汲む浄土真宗では、災害時のボランティア活動ですら自力の諸行として批判される。「精進せよ」と呼び掛けつつ、「精進しちゃいけないよ」とも呼び掛ける声。そのように統合を失調しかけている声こそ、日本のロックンロール・アーティストが世界に無双の存在となる独自性を与えるのだ。
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 誰もの救済を願いながら、「誰でも」と考えることの白々しさを忘れることができない。全てを「等しく/愛しく」感じられるようになりたいと願いながら、自分が関われない、関わりたくない心の持ち主たちの存在をも見てしまう(九十年代以降の他者批判の曲)。この矛盾に対しては、アメリカのロックンロールヒーローたちの先業もまるで参考にならない。歴史的限定性として、各地からやってくる人々で構成された彼等にとって他者は他者であり、「今・ここ」でのコミュニケーションが可能かどうかが一般的な問題だった。これに対し日本では、先行するコミュニケーションの文脈が支配的で、他者性を剥奪された場所でしか人々は巡り会えないことこそが問題だったからだ。柄谷行人は『探究Ⅰ』の中で、私にとって妥当することが普遍的に誰もに妥当すると考えることこそ独我論なのだと言っている(柄谷/1986 p9)。その指摘から始めねばならないほど、日本人は自他の区別が曖昧だったのだ。つまり、日本人にとって、他者を立ち上げることは、曖昧な普遍性を帯びた世界にあえて違和を導入するという作業なのである。佐野元春独我論的に見出された日本人像を分断することから始めなければならなかった。佐野の音楽、それを成す感性にあっては、浄土教的他力本願の「吸収」と禅宗的自力救済の「離脱」の矛盾した共存の自覚を、あえて聴く者に強いることになる。それも真言密教的官能に繋がる「ありのまま」という支点に重心を置いて。だからこそ、この三つのそれぞれの比重に悩み、土台そのものの不安定も加えて、どちらかの方向に揺れてはまた逆方向に戻るヤジロベエのような動きの繰り返しこそ、佐野元春の創作活動の発電装置となったのだ。『ナポレオンフィッシュと泳ぐ日』→『Time Out!』→『SWEET16』→『The Circle』以降くり返されてきた佐野の創作におけるメランコリックな振幅は、まさに彼の精神のエネルギーを表している。
 その意味で、最も初期に書かれた佐野論の著者である下村誠が「アンバランスなヤジロベエ」(下村/1993)と彼を呼んでいるのは、実に本質的なイメージだったのだ。そのアンバランスさこそ創作活動のバランスだったから。宗教に対する彼の接近が音楽の魅力を奪わなかったのは、その「アンバランスさ」という未完成を、受容した宗教像に対しても彼が手放さなかったからなのだ。
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 近作の『Maniju』に「純恋(すみれ)」という軽やかな一曲がある。この曲には、グレゴリー・コーソやコーソを取りあげたアレン・ギンズバーグの詩にも通じる、子どものように純粋で大らかな性が描かれている。そしてここに、佐野の曲の仏教思想の全てのものが込められている。「惹かれ合う度に訪れる/二人にしか見えないこの場所で/生まれ変わったようになんの痛みも感じない/ただありのままの 君がいる」という始まりのヴァース。ここでは、「ありのまま」を受け入れ、「痛みも感じない」とする真言密教的、『理趣経』的な官能性が描かれる。そして「夜明けまでには/どうか辿り着きたい」というヴァース。ここには(二人の)何らかの力をもって「辿り着く」とする自力救済の世界がある。さらに、そのすぐ後では「恋に落ちればもう/誰もが愚かになるよ」と、浄土教的愚者の自覚が歌われる。ついには「夜空の星に導かれて」歩き続けていく誓いが現れる。星が放つこの光が初期の「City Lights」の変種であり、仏教的な二灯(法灯明と自灯明)の具現化でもあることは、今や明らかだろう。しかしその光は、決して彼にとって単数の真実ではなく、ダウンダウン・ボーイたちの頬を偶発的に照らすものでしかない。だからこそ彼は魅力を感じるのだ。宗教的な超越には至らないまま、「君」という存在(しかしそれはあくまで俗世に生きる普通の存在)が特別であることが肯定されること。どれをも受容し、どれにおいても悟らない姿ーーそれは、日本の大乗仏教の文化によって生まれたロックンロールだ。精神の自立の仕方を言えば、日本のビートニクの音楽と言ってもいい。そして「ここで二人自由になって なんの不思議も感じない」とも歌われるように、我々がここまで求めてきた「自由」をめぐる思考の実在でもあるのだ。
 佐野元春というロック・アーティストの世界的にユニークな真価は、ここにある。

    (「結」に続く。)