「3」 杉真理の飛躍・『NIAGARA TRIANGLE Vol.2』を成立させた確信

Jビート エッセイ987 No.2

 

杉真理の飛躍・『NIAGARA TRIANGLE Vol.2』を成立させた確信

 

 

 最も重要なのは、「ガールフレンド」。「ポップ・マエストロ」という言葉のイメージとは違い、一枚のアルバムの中で、唯一明確にマイナーな曲だ。
「ポップ」という言葉が引き込む明るさ、朗らかさに背反するこのナンバー。ステレオの前のリスナーの「腰」をさらう強烈なロックンロールから、内省的でメランコリックな曲までを含む幅広さを見せる佐野元春。様々なメロディー、サウンド面の仕掛けを、エルヴィス・プレスリーを想起させるセクシーな距離感を伴うヴォーカルで描く大瀧詠一。彼らの間(まさに一枚での曲順も、三人の真ん中のトラックなのだ)で、最もシンプルな曲を提供する杉真理
 しかし、杉はそのシンプルさで、彼の最大の武器である声を、聴く者の耳に直接飛び込ませることに成功している。
♪ 髪を濡らす雨
レインコートは 冷たい心を包みきれない
 重い内容のわりには軽快に聞こえる「Nobody」の皮肉さ(このシニカルさこそ、この歌を捧げられたジョン・レノン自身の得意とするところだった)に揺れた後、前奏もないままに歌い出されるこの言葉に、聴く者は、ハートブレイクソングの真っ只中に置かれる。
 「恋人」と呼んでいたはずの「君」に「新しい恋の訪れ」があったことに気づき、自ら身を引く男の心情。「古い映画のような雨」や「濡れた舗道」という外景が彼の心の隠喩となり、聴く者の心を深く沈ませる。次の「夢みる渚」のキーボードの音が聞こえてきて、やっと気分が浮上するまで。
 しかし、その持ち直した心情も、また突き放される。B面の一曲目(レコード時代は、「夢みる渚」までがA面だった)の「Love Her」は、再びハート・ブレイク・ソングなのだ。こちらは、ギターだけが強い「ガールフレンド」に対して、キーボードとホーンの印象もしっかり前面化して、メランコリックな情感を作り出す。
♪ LOVE HER  人ごみの中に君の声を聞いたようで
LOVE HER 振り返ればただ 小雨煙る交差点
 こう歌い出される「LOVE HER」にも、前奏がない。『Niagara Triangle Vol.2』に収められた杉の四曲はどれもヴォーカルで始まるか、前奏があっても極端に短い(「Nobody」「夢みる渚」)。前奏自体が一つの世界観を作る大瀧や佐野と異なり、歌の言葉の世界へ一気に聴く者を引き込むのが、杉だ。
「Love Her」は、絵を描く行為と恋愛が重ねられ、そのどちらもすでに失われた時点で、不意に「君の声」を街角で聞いたという錯覚からの回想として歌われている。間奏のホーンが時間的な距離感を導く効果をあげる。現時点では取り戻すことのない時間であり、失恋であることを決定づけるように。
Niagara Triangle Vol.2』から約十年の後、「Jポップ」という言葉が生み出され、やがて隆盛を極める。しかし、はっぴいえんどを起源に置く日本「ロック(ロックンロール)」と「ポップス」の歴史を考えるに当たって、見落とされやすい事実がある。あまりにも大前提すぎて、あえて論じるまでもないとされているのかもしれない。それらの多くが歌詞のある歌であり、大衆は何を歌っているかを真っ先に知りたがるという事実だ(※1)。このアルバムで杉は、他の二人にはない、明確な詞の世界とそれを素直に届ける役割を果たしている。
 伊藤銀次(※2)や杉自身の回想に拠れば、このアルバム『Niagara Triangle Vol.2』に収められる曲に関しては、全体のプロデューサーである大瀧詠一の意向が大きく働いたそうだ。そして、別の曲を用意していた杉に『Love Her』の収録を薦めたのは大瀧だという。彼はまた、佐野に対しても、「マンハッタン・ブリッヂにたたずんで」を入れるように薦めていた。
 誰もが知るように、大瀧詠一は、日本最高のポップス好きであり、熱狂的なコレクターでもあった。彼は「コレクター」の習癖か、一枚のアルバムにあってもなるべくお互いに重ならない、それぞれが独立性を保ったヴァラエティーを求めた。大瀧の志向したものはこの時も一緒なのだ。杉のこの四曲は、他の二人の曲にはない個性と価値を認められていいたていたから、ここに収められていたのだ。改めて言うまでもないが。

※1 二○二一年一月現在、BSテレビで放送中の「ザ・カセットテープ・ミュージック」(BS12 トウェルビ)の中のマキタ・スポーツとスージー鈴木の両氏が「シティ・ポップ」と「アーバン・ポップ」という言葉を用いて、両者の区別を試みることがある。興味深いが、ただ、「ポップ」の前提に言葉があり、その言葉がどんな姿を取るのかが、私の関心を置くところである。
※2 『伊藤銀次自伝 MY LIFE,POP LIFE』(シンコー・ミュージック・エンタテインメント 刊)より。

 

    「4」に続く。