ノート 沢田研二についてのエッセイの今後と長田弘論

20210128 夜

 

 沢田研二さんの「勝手にしやがれ」についての文章は、今日、アメブロに「5」を公開しました。残すは、明日の「6」のみです。これで、「沢田研二の矜持」「沢田研二の歌声」と続いたエッセイは、完結になります。ブログに公開して、時には褒めていただき時には叱られながら日々の連載を続ける体験は、自分自身としては、とても楽しいものでした。

 私が、沢田研二さんについての文章を今さら書く理由ははっきりしています。はやり廃りと関係なく、ジュリーこそ、まず私の原点だからです。ここをしっかり見きわめて、私がたくさんの言語芸術に関して書く文章の中心を自分できちんと理解したいと思ったのです。そして、私が芸術・創作批評として貫く態度=「みなさん、こんないいものがありますよ!」を、今ならジュリーさんに関して言うと、共感していただける人々が、広い世代にいるのではないかと思ったからです。

 で、今回やってみました。思っていた以上の方々からの反応をいただいて、心から励まされました。ありがとうございます。

 さて、今後も沢田研二さんに関しては、二週間に一回程度は文章を書いていきたいと思っています。今回は、「ジュリーの魅力を見きわめるぞ!」と意気込んで、かなり力んだ三作(「沢田研二の矜持」「沢田研二の歌声」「勝手にしやがれ試論」)になったので、次はもう少し気楽でラフな感じでかけたらいいなあと思っています。もちろん、ジュリー・ファンの皆さんに「失礼だ!」と怒られないようにはしたいと思っていますが。

準備ができたら、またお知らせします。その間に、上の三作へのご意見やご批判、アドバイスなどいただけたら、嬉しいです。

 

 ところで、この「Jビート」というエッセイの企画は、音楽だけでなく、文学や映画、落語などの芸能、宗教も扱うものです。このごろ少し音楽の話が続きましたが、明日は私の尊敬する長田弘さんという詩人の詩集についての文章を、11時にアメブロに公開します。決して難しいものではありません。ぜひご覧下さい。

 

  では、皆さん、今、公開中の各文章(小説と、泉谷しげるさんについてのエッセイも含めて)を、よろしくお願いします。

 

 藤谷蓮次郎

  2021年1月28日