ノート 沢田研二と萩原健一をコンビにした脳内での楽しみ方!

20210211 夜

 

アメブロでも書きましたが、今日の午前中は、ショーケン、ジュリーのそろい踏みでした。ショーケンさんは何度も、二人が揃った仕事は当たらない、と言っていましたが、やっぱりワクワクする2ショットです。ショーケンさんが鬼籍に入ってしまった今となってはもうあり得ないのですが、私は自分の頭の中だけで、勝手に、ジュリーの歌をショーケンに、ショーケンの歌をジュリーに歌ってもらったりしています。

例えば、「おまえにチェックイン」をショーケンが歌ったら・・・。たぶん、ジュリーがストイックなまでにカットしている「嫌らしさ」を表に出して、それをどれだけお茶目に表現するか、トライするでしょうね。逆に、ショーケンの「54日間、待ちぼうけ」をジュリーが歌ったら・・・。彼の美しい声とスタイルで歌ってはかっこよすぎるので、一気に退廃的な世界観にもっていくでしょう。

そんな風に、いろいろ考えてみたりしています。

私は二人とも大好きなのですが、ジュリーのコアなファンの方も、ショーケンのコアなファンの方も、常にライバルであり、戦友のようなお二人のどちらも認めて、それぞれの作品を楽しんでみると、ご贔屓の方の新しい魅力も感じられるかもしれません。

 

こんなことを書くのは、来週、ジュリーとショーケンについて交互に書いてみようかな。そんな企画でやってみようかな、と思い出したからです。

少し考えていることがありますので、また、まとまり次第、報告します。今はとにかく、ショーケンとの格闘を終えなければなりませんので。

 

なお、このブログは、強い言葉、残しておきたい言葉について、芸術・創作作品として取り上げるものです。ジュリー、ショーケン以外にも、今でも人に賞賛されるものばかりでなく、たくさんの忘れられた才能や作品をとりあげていきます。あまり地味なものだと、アクセスが0~3になったりしますが(先週のアメブロだと、アンジーと岸上が、ほぼ反応なしでした)、それもまあいいことだな、と思っています。だって、私がとりあげなければ、彼らの名前が「アメーバ」や「はてな」に、この2021年の時点で残ることはなかった可能性が高いということでしょうから。

私は、芸術や創作が好きなんです。だから、よいものや、問題を持ったものがそのまま忘れられていくのは、嫌なんです。

生意気をいいましたが、今後もよろしくお願いします。

 

         藤谷蓮次郎

           2021年2月11日