三遊亭円丈をめぐって
20210416 夜
今日から、私のアメブロでは、三遊亭円丈師についてのエッセイを連載し始めました。毎週金曜日から日曜日の週末長編評論として連載します。
以前、アメブロやこのブログにも書いた通り、私は学生時代は、読書の他、映画、音楽、落語に明け暮れた生活をしていました。落語は最初、近くの公立図書館で貸し出しされていた三遊亭円生師のCDを片っ端から聞いて、そこからのめりこみ、寄席やホール落語にもお金の許す限り通いました。このころの私のアイドルは、フランスの小説家・バルザック、イタリアの映画監督・フェリーニ、そして落語の古今亭志ん生でした。これもすでに書いたことですが。
結果、落語にご縁をいただいて、故・山遊亭金太郎師に私の書いた創作落語を演じていただいたりしました。
今回の文章も、ある文芸雑誌に発表するつもりで書いたものですが、ご縁がなく、果たせませんでした。それより数ヶ月前に、私と同年代の文芸批評家の実に低レベルの現役落語家論が掲載されていたので、文芸雑誌の編集者の見る目のなさ、凡庸さに、心からがっかりしたものです。その文芸批評家の方は、落語について、たぶん本当は好きではないのでしょうし、編集者もそうなのでしょう。
本当に取り上げるべき落語家なら、この人なんだよ!
そういうつもりで、私の三遊亭円丈論は書かれました。
円丈師が度々言うように、彼の存在はとても重要です。にも関わらず、まともな円丈論を私はひとつも見つけられなかった。彼について語ることは、現代落語への批評をはっきりと描きだす。ゆえに、私は誰かがそうするべきだという確信をもって、この文章を、書きました。
落語好きの皆さん、これは私からの挑戦状であり、友愛の証です。ぜひ、ご批判ください。
落語に興味のない方。難しいことはないです。落語入門にどうぞ。
週末、しばらくの間、お付き合い下さい。
藤谷蓮次郎
2021年4月16日。