細川貂々論の開始に際して
20210521 夜
今日から、アメブロの週末長編評論は、コミックエッセイのマンガ家・細川貂々さんについてになりました。
彼女の本を読んだのは、ご多分に漏れず、「ツレがうつになりまして」からですが、私は彼女とツレさんに対して、ほぼ同世代としての興味を感じ、強く惹かれました。
今回のエッセイでは、久しぶりのマンガ論なので(私はかつて、根本敬論を書いて同人誌に発表し、青木雄二論でマンガの公募評論賞の最終選考に残ったことがあります。根本論もそうですが、両方とも選考結果を公表されるところまでは行っていて、ただ批判だけされて落とされました。文学賞・映画評論・小説を含めて、私がそういう形で扱われたのは、実は二桁以上になります。もっとも、いつもペンネームを変えていたので、他の人にはわかりませんが。二十年ほど前のことです。現在、大学教授のような人たちが余儀でいい加減な文章を書いているのを見ると、日本は肩書きだけで回っている世の中なのだと実感し、悲しくなります。すいません、愚痴になりました)、コミックエッセイというジャンルについても、語ってみたいと思って書きました。これも四年ほど前の文章です。
コミックについてなので、甘く考えられたくないと思い、いつもならノートのレベルで書いている生硬な文章が「序」だけ続いていますが、ご容赦下さり、ぜひ「1」章から先までお読みください。
なお、私は現在の、心理学かぶれしたような彼女の作品は読んでいて愉快には思いません。
今回の文章では、あくまでも、私の好きなところだけ扱います。
藤谷蓮次郎
2021年5月21日。