J・ビート エッセイ987(藤谷蓮次郎のアメブロ) 100本目に寄せて

(私のアメブロ、noteにも同じ記事が載っています。)

 J=ビート エッセイ987 100本目に寄せて

      
 明日のアメーバブログアメブロ)に掲載する「Jビート エッセイ987」のエッセイは、ちょうど100本目になります。そこで、私の「アメブロ」、「はてなブログ」、「note」の三つに、この文章を共通して掲載します。

 文学、音楽、映画、演劇、古典芸能、落語などのすぐれた作品、主にその言葉を中心に、文学、詩歌の研究・創作者として生きて来た立場(「藤谷蓮次郎」はペンネームです)から、ぜひその優れた専攻作品、作者、テキストに対する自分の思いを記録するために始めたのが、このブログ(「アメブロ」の「Jビート エッセイ987」)です。
 中でも、その核として「書き下ろしの短いエッセイをジャンルにこだわらず、週一回程度(一年五十回程度)書き、二十年ほどゆっくり続けられればいいな」と始めたこの企画「Jビート エッセイ 987」(「987」というのは、スタート時点で目標にしていたエッセイの本数です)。嬉しいことに、予想外に多くの皆さんにお読みいただいて、スタート初年の今年、すでに「100回」を、明日の文章で達成することになりました。これも一重に、ほとんど読者のいない(多くの方がお気づきのように、大手出版社から刊行されている雑誌に乗っている文章の多くはただ載っているだけで、読まれることはありません)純文学ジャンルでの執筆に拘泥してきた私にとって、このアメブロで出会えた読者の皆さんの存在が、何より励みになったからです。今では、私は、はてなブログ、noteも始めましたが、それぞれの読者層の違いを感じつつも、一段と意欲を与えてもらっています。
 また、この「Jビート エッセイ987」を通して、私は「沢田研二=ジュリー」さんという存在の大きさを、再認識させられました。最初は、自分が好きなロックンロールと歌謡曲の接点であったこの大きな存在、少年の私の人生観に大きな励ましであり、勝手に師と仰いできた「沢田研二」さんを無視しては今の自分の思いを書き継いでいけないと、ごく単純に、素直に書きとどめようとしたエッセイでした。その結果、様々な思いが溢れてきて、時に多くの方々から応援やご意見をいただくこともあり(特に、「沢田研二の歌声」「カサブランカ・ダンディ」「ヤマトより愛をこめて」のエッセイは、それぞれ、アメブロ公式ハッシュタグで全国一位を獲得するほどご覧頂きました。他にもベスト10位以内に入った文章もいくつもあります)、気がつけば今年後半ずっと、「沢田研二=ジュリー」ものに、ほとんどかかりっきりになっているところです。
 本来、この「Jビート」は、様々なジャンルを取りあげる主旨なので、今の状態はそこからは逸脱しています。ですが、とにかく、私の中にある「沢田研二さんへの思い」をある程度まとまって表明しないと、今は前に進めません。来年の春からは、また様々なジャンルを取りあげるエッセイ(もちろん、「ジュリーもの」もその中に含みます)に戻りますが、さしあたって、十一月の半ばまで、「アルバム全曲アプローチ」の『今 僕は倖せです』が終わったら一区切りとし、年末から来年初め頃まで、何らかの形で、一曲ずつではない、私なりの本質的な「沢田研二論」の本体をどの媒体かに発表いたします。その上で、様々なものを取りあげるJビートを、アメーバブログで続けて行きます。
 もちろん、はてなブログ、noteも、それぞれ多数のオリジナル記事を載せていきます。
 三つとも、今後もよろしくお願いしします。

        
                      藤谷蓮次郎
                           二○二一年十月三十一日