ノート ショーケンの歌との出会い。今後のお知らせ。

20210209 夜

 

昨日は、再放送された「傷だらけの天使」を見、ビデオで「前略おふくろ様」を見て、すっかり役者としてのショーケンに魅入られていったところで終わりました。

 

ヴォーカリストとしてのショーケンは、とんねんるずさんとかがテレビでたまにやってくれていたし、真似する人も多かったので、なんかずいぶん大袈裟に歌う人らしいな、という印象を持っていました。当時、私が読んでいた「新譜ジャーナル」に、彼の「シャンティ・シャンティ」とか、「ストレート・ライト」のアルバム・レビューが載ったのを見て、「あれ、この人、ロックなのかな?」と疑問に思ったはずですが、それは中学生くらいのころだったのか、もう少し年を取っていたか、よくわかりません。とにかく、今のように色々な音源や映像が手に取れる時代ではなかったし、昨日も言ったような事情で、ショーケンさんはあまりテレビに出ることもなかったと思うので、触れる機会がなかったように思います。

 

ヴォーカリスト、シンガーとしての彼の面白さに目覚めたのは、森茉莉森鷗外さんの娘さんで、『恋人たちの森』などの日本版ジャン・コクトー恐るべき子供たち』のような大変に面白い小説を、かなり高齢になってから書いた人です)さんが、テレビで見たことに関する感想を縦横無尽に綴ったエッセイ集『ドッキリ・チャンネル』で、あの「美」に厳格な「父の娘」が褒めているのを読んだ、東京での大学生時代からです。沢田研二さんが褒められているので私は嬉しく読んだのですが、ショーケンの「ラスト・ダンスは私に」も、彼女は、「苦いものでかみつぶしたような顔で、ジャズ風アレンジで」歌うのが面白かったと言っていたように思います。(アメブロでも書きましたが、今はこの本が手許になく、ご時世柄、図書館にいくのもままなりませんので、20年以上前の記憶だけを頼りに書いています。間違っていたらすみません。)

東京では、私は池袋演芸場と新宿末広亭という二つの寄席のちょうど真ん中くらいの裏路地に住んでいたので、いくつかのレンタルショップを回って、ショーケンの様々な音源に触れました(映像はなかったように思います)。結果、めちゃくちゃにカッコいいとともに、とってもチャーミングな人だなあ、可愛らしい人だなあ、と感じました。

私の受けたその印象の由来を説き明かす試みが、今回の文章です。

書いているうちにだんだんとショーケンに呑まれて、少しずつ長くなってしまいました。まだ先は長いですが、皆さんどうぞおつきあいいただき、ご意見下さい。

 

これより前に、やはり一週間くらいかけてジュリーを取り上げました。いま、ショーケンについて考えている私は、彼ら二人をこのように感じています。

一人の大人の男性が、類い稀な美少年の肉体をまとって現れた人=ジュリー

一人の美少年が、男としての性を溢れさせながら求愛し続けた人=ショーケン

このような対の中で、私は考えています。

 

さて、この後のお知らせなのですが、ジュリーについて書いているとショーケンについて書きたくなったように、ショーケンについて書いている今は、ジュリーについて書きたくなりました。で、今週の木曜日、短く、軽く仕上げますが、ジュリーの一曲を取り上げたエッセイを、アメブロで公開します。前に載せた「沢田研二の歌声」の時に書きたかったのですが、長くなりすぎる気がしたので、書かなかった部分です。

私にとっては、いちばんリラックスして書ける曲です。

 

明日、その曲目を発表しますね。

 

そう言えば、アメブロに公開し続けた小説、今日と明日で終わりです。よろしければお読み下さい。

 

    藤谷蓮次郎

      2021年2月9日