ジャーナル 佐野元春「レイナ」 明日のジュリー
20210331 夜
今日、私のアメブロに載せた佐野元春「レイナ」については、どうしても書きたかった文章です。
よく「佐野元春の全盛時は『ガラスのジェネレーション』だ!」とか「『SOMEDAYだ」という声を聴きますが、それぞれに好きなアルバムや一曲を持つことは自由だと思いますし、日本のロックの「若者向け」の社会性から考えて初期の作品に視線が行くのも当然だと思います。
とはいえ、「当然」=「正しい」とは、私は思いません。
今まで読んだ文章の中で、私と同じ位の年齢のプロの物書きが、上記の時期に佐野元春氏の活動の中心をみていたり、ブルセラ少女の社会学研究で名を挙げた本質的に差別的視線を持つ社会学者の文章に同じような限定的な視線があったりして、私のストレスが限界を超えました。「君たち、単純で楽だろうね」と言いたい気持ちが抑えられなくなったのです。
で、あの文章を書きました。
こういった軽薄な人たちは、「レイナ」をどう聴くのか。――それだけで、彼らの凡庸さは際立つでしょう。
私は、こういう曲を作るようになった佐野元春が、同じ時代に生きて年を重ねた人であることに、たいへん励まされます。
皆さんは、どう思われたでしょうか?
アルバム「The Sun」の一曲です。今の季節にぴったりですし、穏やかな気持ちになりますよ。
さて、明日は、ジュリーから一曲。
新年度の初日に、美しい別れの歌を取りあげます。
明日の朝7時半です。お楽しみに!
藤谷蓮次郎
2021年3月31日