星野源「恋」の源流・小沢健二/大江千里(前半)

 
星野源「恋」の源流・小沢健二大江千里  
  

 星野源の「恋」(2016年10月)を、数年ぶりによく聴いている。テレビ・ドラマを見る習慣がほとんどない私(興味がないとか嫌いだとか言うわけではなく、連続ものを見る時間がないのだ)でも、数年前、この曲を主題歌とするドラマ(『逃げるは恥だが役に立つ』)が大ヒットしたことは知っている。高校生の女の子たちが、大勢、近所の公園で踊っていたから。
 星野源はこのドラマの主役も務めていたそうで、ヒロインの女優とともに、一気に知名度と好感度を上げたらしい。この冬、再びこの歌がよく聴かれるのは、二○二一年の初めに同じドラマの新作が放送されるためのプロモーションということだ。
 異性との関係が自然には築けない二人の男女の契約結婚。しかし、そこに少しずつ思いが加わってきて…。そういうドラマだそうだ。好きで観ていた人に聞くと、サイド・キャラクターたちもそれぞれに一癖仕組まれていて個性があり、特に古田新太演じるキャラクターには強い魅力があったという。
 主題歌の「恋」もまた、一癖ある。言葉においては、Aメロの「イ段音の短音」の刻みから、「ア段音の長音」が目立つCメロ(サビ)に駆け上がる開放感が核として仕込まれている。
Aメロ
 ♪ いとなみの
   まちがくれたらいろめき
   かぜたちは はこぶわ 
カラスとひとびとのむれ
Cメロ(サビ)
 ♪ むねのなかにあるもの
   いつかみえなくなるもの
   それはそばにいること
   いつもおもいだして 
「イ段音」と「ア段音」に、「―」と「~」を施した。「ウ段音」「エ段音」「オ段音」を鏤めながらも、「イ段音」と「ア段音」を中心に言葉が選ばれているのは明らかだろう。特に、「営みの街」という不自然な言葉。そして「人々」と共に描かれる動物が「カラス」であることなど、作者の星野源が「音」の面から意識的に言葉を選んでいるのは明瞭だ。
 ここに、星野源の意識的な技巧が顕在化している。この一曲が大きなヒットとなったことは、その技巧が作者の意図を超え、多くの人の心で息づいたことを意味する。いわば、この主題歌自体が、契約結婚(雇用結婚?)から現実の恋愛が生まれてくる過程のひな型となっていたように思われる。

 技巧的に作り出された恋愛歌が、制作者の意図を遙かに超えるほど多くの人に受け入れられること。――もちろん、大衆音楽は、多くの人に受け入れられるべく、どれも意識的に構築された曲に違いない。どれほど制作者側が個人的な思いを込めようと、それとは別次元の受容がなされることが前提である。しかし、多くの曲では、その技巧性を覆い隠して、同時代の感性に自然に溶け込む配慮がなされている。
 ところが、星野源の「恋」のサビのフレーズ。「胸の中にあるもの(ォ)/いつか見えなくなるもの(ォ)/それは側にいること(ォ)」と畳みかける「オ段音」や「夫婦を超えてゆけ(ェ)」と引き延ばす「エ段音」がことさら耳新しく聞こえるような技巧性。それは、同時代の耳にあっても小さな違和感の種となっていたはずだ。
 私は、現在の星野源の活躍を見る度、違和感を込めたラブ・ソングの作り手を二人、思い出す。ここでその名前を挙げてみたい。

 

              (後半に続きます。)


 1月14日 付記

  「恋」の歌詞の引用部。ブログに移す時点で、「い段音」と「あ段音」につけたしるしが落ちてしまいました。すみません。